日曜の午後(記:輝やん)

少し前の日曜の午後、ふらりと一人、新宮と三輪崎の間にある峠、高野坂に登った。初めてのことだ、これまで幾度も気になりながら機会を逃していた。

 三輪崎は新宮から南西に位置する。その昔、太地と同じように八浦を潤す捕鯨の村であった。かなりの往来があったのであろう、高野坂は他の古道と幾分か雰囲気が異なる。緩やかな石畳は、広いところで二間に近い幅があった。

峠から南に光る大洋を眺め、逆方向に国道を見おろした。ビュンビュンと車が流れていた、普段に私たちが車を走らせている道。

もの心ついたときから国道があった。峠に立ってみて、キュッと背筋が硬直した。大平洋から波打ちよせる断崖と山を割った人工谷の対、改めて近現代の性急を想った。悠久の歴史の中に突如として起こった近現代という狭い時を、「魔」の時代とも感じた。

 サラサラと笹の擦れる音が妙に心を揺さぶった、辺りを見回す。すると石畳の傍らにぽつぽつあった屋敷跡の石垣に気づいた。今では誰も通らない峠道、石畳に膝を抱えて坐り、太古から数十年前までの人の往来を想像した。耳を澄ませば昔人の声が聴こえてくるようで、暫し静かで心落ち着く幸せな時間が流れた。途中から仕事のことや『10号』のことや障害者団体のことや誰彼のことや…と現実に在る事柄にグイッと引き戻され、大きく息を吐いて腰をあげた。時間の経過を忘れていたのだ、『浦島太郎』にも似ていた。うす暗くなった坂道を躓きながら下った。

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コメント: 1
  • #1

    オシオ (月曜日, 25 2月 2013 23:15)

    「魔」の時代と想起させた高野坂、今度連れて行ってください。