「熊野大学聴講生による熊野を語る会」第1回の内容報告④(記:管理人)

更にまた前回の続きです。
H女史の発表の中で、中上紀さんの8歳になるご子息が新宮市の
お燈灯祭りに初めて参加された時のエピソードを披露されたくだり
がありました。
「新宮市には、1400年も続く伝統的な”お燈祭り”がある。男
性が白装束で、夜の山上の狭い一角に集まり、松明に火をつけ、
長く急峻な石段を一斉に先を争って駆け下りて来る。ふもとでは
道の両側に新宮中の女性たちがずらりと並んでこれを待ち受け、
帰還を称える。火を介して人々は一種のトランス状態に導かれ、
駆け下りて来た男性陣は誇らしげに、待ち受ける女性陣は慈
満ちて、男性性・女性性を強く意識させる祭りである。どこにで
見かけるような普通のタイプのおじさんが、松明の燃え残りで
煙草に火をつける様子を見ただけで、ゾクゾクするほど魅力的に
感じる異空間となる。紀さんのご子息も、そんな雰囲気のなか8
歳とは言え男の血が騒いだものか、自分の始末は自分で付けると
ばかりにふもとで待ち受ける紀さんとHさんを尻目に、いつの間
にか独りで山を下り、独りで着替え、独りで家へ帰っていた。男
性性の萌芽を感じ、頼もしく思った。」
といったお話でした。麗しい挿話です。成長への喜びを共に味わ
うことができますね。
しかし、私達は同時に、このエピソードはお二人にとってあ
ご都合のよろしくない視点を周到に避けて語られていることに、
若干の注意を払う必要があるでしょう。お話の総体からご推察申
し上げますに、「男性性・女性性を強く意識させる祭りにすっか
り夢中になってしまい、紀さんと二人であちこち目移りしている
うちに、ついうかうかとご子息の帰還を見逃した」とまあ、この
ような事情も事実の一端として垣間見えるのではないか,とそう
いうわけです。