編集委員ブログ

2014年

5月

18日

くまくま会第5回例会のお知らせ(記:管理人)

くまくま会第5回定例会が開催されるようですので、この場をお借りし

てのお知らせです。

2014年5月24日(土)の14:30より、世田谷区桜上水の日大

文理学部 3号館2階3202教室にて、「熊野大学聴講生による熊野

を語る東京の会(略称:くまくま会)」主催による第5回定例会が開催

されます。直前のご連絡となってしまい、どうも済みません。

今年の熊野大学夏期セミナーのテーマが、”文学と女性性~佐藤春夫と

中上健次をめぐって~”というものなので、これを踏襲して「夏期セミ

ナー予習講座」として同一テーマで若手研究者3名の方に発表して頂き

ます。その後、新宿に場所を移して懇親会を行う予定です。

熊野大学夏期セミナーへ参加ご予定の方は、ウォーミングアップを兼ね

て本会へお越し下さい。夏期セミナーへ参加できない方は、せめて本会

にてその雰囲気だけでも味わって頂ければと思います。

ご興味をお持ち頂けるようでしたら、当日は直接会場へお越し下さい。

なお、実施会場は、ご好意により教室をお借りしているに過ぎません。

大学当局への本会に関するお問い合わせは、一切なさらないようお願い

申し上げます。

では、当日お会いしましょう。どうぞよろしくお願い致します。

 

 

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2014年

4月

13日

牛王10号が遅れております(記:管理人)

牛王10号の発行が遅れておりまして、ご期待下さっている皆様

には誠に申し訳ございません。編集作業の過程で、現在の体制で

はどうしても編集長ひとりに作業負荷が集中してしまう事態とな

っており、加えて、ここ1~2年の間に編集長が公私共に超多忙

となってしまって、牛王はスローダウンしております。

我々は皆それぞれに守るべき家族と生活を抱えています。決して

牛王編集作業をないがしろにしている訳ではありませんけれども、

自分の家族と生活の都合を最優先とせざるを得ません。ご理解下

さい。

11号からは少し体制を見直し、なるべく作業を複数人に分散し

てボトルネックを発生させないように考えます。また、発行のサ

イクルも、もう少し余裕を持った長さに変えてゆく必要があるか

と思っております。

いずれにせよ、もう少しお待ち下さい。よろしくお願い申し上げ

ます。

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2014年

1月

05日

今年もよろしくお願い致します(管理人)

明けましておめでとうございます。

長らくブログをお休みしてしまいまして、申し訳ありませ

ん。個人的にいろいろと面倒な事象を抱え、解決するのに

結構な時間を要しました。そのあたりの顛末についても、

少しずつご報告したいと思います。

その前に、くまくま会(熊野大学聴講生による熊野を語る

東京の会)の活動予定について、取り急ぎご連絡申し上げ

ます。平成26年1月11日(土)の15:25頃より、

日本大学文理学部3号館2階3201教室にて第4回例会

を実施予定です。「新進気鋭!-中上健次研究の最前線ー

発表とディスカッション」と題し、若手研究者を中心に自

由なテーマでお話をして頂こうというスリリングな試みで

す。ご興味がおありの方は、当日直接会場へお越し下さい。

なお、大学からはただ会場をお借りしているだけです。運

営には一切関係がありませんので、日本大学への当催しに

関するお問合せはくれぐれもなさらぬよう、お願い致しま

す。

では、今年もよろしくお願い申し上げます。

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2013年

9月

23日

くまくま会の次回活動予告です(記:管理人)

「熊野大学聴講生による熊野を語る東京の会」(略称:くまくま会)

では、来る平成25年10月12日(土)の16:00より日本大学文理学

部3号館3301教室において、作家・中上紀さんによる講演を予定し

ているようなので、この場をお借りしましてご連絡申し上げます。

 

これは、お父上である中上健次さんに関する未公開写真・プライベ

ート画像などをプロジェクター上映しつつ、そのプロフィールや思

い出について娘の中上紀さんに語って頂くという、ちょっと他では

見られない企画です。

去る6/22に代官山の蔦屋書店さんで行われた市川真人さんと中上紀

さんのトークショーの際に、当日になって紀さんたちが「写真を上

映したい」と希望しましたが会場に機材の用意がなくて果たされな

かったという出来事があって、これを残念がったくまくま会会員の

強っての願いで実現の運びとなった模様です。

 

日大文理学部さんには、ただ場所をお借りしているだけなので、こ

の催事に関するお問い合わせはなさらないで下さい。何かご質問・

ご不明点などございましたら、当ホームページの「お問合せ」メニ

ューからお願い致します。

予約は不要ですので、当日は直接会場へお越し下さい。収容人数は

50名を予定しておりますが、事前におよその来場者数を把握してお

きたいと思いますので、ご来場予定の方はお手数ですが当ホームペ

ージの「お問合せ」メニューよりその旨お知らせ頂ければ幸いです。

 

どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2013年

9月

16日

映像記録を残したいのに

熊野大学夏期セミナーの会場で、NHK和歌山でお仕事をされている

s君が機材を持って撮影している様子を横で眺めながら、「くまくま

会の活動記録にも動画が欲しいなあ」とずっと感じておりました。

セミナーから帰って来てもなおその想い絶ち難く、とうとう思い切っ

てちょっと高かったけどビデオカメラを買ってしまったのでした。

先月行われた”くまくま会親睦会”にはそのビデオカメラを持って行っ

て、おっかなびっくり試験撮影してみたのですが、これが思ったより

もよく撮れてる。素人の私にロクな撮影技術がある訳じゃなし、ひと

えに機材がいいからなのですが、さすが技術立国日本の精密機械は品

質が違うと感心しました。ところが。

映像データを外部媒体に保存しようとすると、これがうまく行きませ

ん。パソコンへデータを保存したまでは良かったのですが、それを再

生することができないのです。動画が見られなきゃ意味がない。DVD

へコピーして希望者へ配布してあげようと目論んでいたのに、「パソ

コンへ接続した通常のDVDドライバを使って、再生可能な映像データ

をDVDへ書き込む」ことは、このままでは不可能なようです。いや、

必ず方法はあるはずなのでしょうが、そこまで辿り着けずに四苦八苦

しています。せっかく買った高いビデオカメラを無駄にしてなるもの

か,というセコい損得勘定だけが、モチベーションになっています。

 

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2013年

9月

01日

くまくま会夏の親睦会が行われました(記:管理人)

去る8月24日(土)に、「熊野大学聴講生による熊野を語る東京の

会」(略称:くまくま会)の親睦会が行われました。
今年の夏期セミナーを終え、普段の日常生活に戻って一息吐き、今年の
熊野で新たに知り得た人々と改めて交流を持つためと、今年は残念なが
ら熊野へ行きそびれてしまった方々へささやかなみやげ話をお伝えする
ために、例によって新宿ゴールデン街近くの居酒屋さんへ集結しまして
にぎやかに三週間前を振り返ろうという訳です。
とは言え、今回はみなさんそれぞれにご都合がお悪かったようで、蓋を
開けてみると「今年のセミナーへ行かなかった方は殆ど欠席」という残

念な事態でした。私は、ハンガンさんと一緒に撮って頂いた記念写真を

見せて自慢してやろうと思っていたので、当てが外れてがっかりしてし

まいました。まあいい。チャンスはまだたくさんある。
その後、二次会は中上さんゆかりのゴールデン街「ブイ」(定員は7,

8人といったところです)へ、酔いに任せて12人もの多人数で押しか

け、乗車率150%くらいの人口密度でさんざんに飲み散らかして、お

店には大変なご迷惑をお掛けしてしまいました。松本さん、どうも済み

ません。
深夜まで飲み続け、始発電車が動き出すまでの間をカラオケ屋へ飛び込
んで大騒ぎしていました。

我ながらよくやるなと思いますが、熊野の残留思念のような熱気が成せ

る業です。

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2013年

8月

11日

今年も夏期セミナーへ行ってきました(記:管理人)

久しぶりのブログ更新です。

今年も、熊野大学夏期セミナーへ行ってきました。いつもそうなん

ですけれども、本当にあっという間の三日間でした。今年は例年に

比べて参加者がやや少なかった分だけ、受講生どうしのコミットが

濃密にできたような気がします。また、参加者の意識も総じて高か

ったように思われ、刺激と充実感に満ちた二泊三日の合宿でした。

 

遅ればせながらのご報告ですが、牛王10号は編集作業が大幅に遅

滞しており、発行が遅れます。申し訳ありません。みんな自分の本

業を持ちながらの作業でありまして、今回はどうしてもセミナー開

催日までに間に合わせることができませんでした。状況が変わり次

第またご報告申し上げます。よろしくお願い致します。

 

くまくま会では、暑気払い親睦会が予定されているようです。その

様子もいずれご報告します。

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2013年

7月

01日

「熊野大学聴講生による熊野を語る会」第2回の内容報告(記:管理人)

6月22日(土)の20:00から約2時間をかけて、東京・代官

 

山の蔦屋書店にて市川真人さんと中上紀さんのトークショーが開催
されました。
厳密に言えば、もちろんこれは蔦屋書店さんのイベントです。分っ
ております。しかし、中上紀さんも当日に司会を担当されたHさん
も、「熊野大学聴講生による熊野を語る東京の会」(略称くまくま
会)発起人のメンバーでもありますし、ほとんど尻馬に乗る形
「これを第2回の活動と言ってしまおう」と会長・Iさんのお声
けのもと、前回集まった面々で連絡を取り合い、会場へ押しかけ
行ったのでした。ですから今回の活動は、”会を開いた”のではなく、

”イベントを見に行った”というはなはだ野次馬的要素の強い活動と

なりました。いいんじゃないでしょうかたまにはこういうのも。

比較的遅い時間に行われたイベントであるにも拘わらず、会場には

50人を軽く超える人々が集い、静かな熱気とも表すべき雰囲気が

漂っていて、何となく熊野大学夏期セミナー的状況でした。お話の

内容も、熊野という土地の魅力から熊野大学の今後に至るまで幅広

く、途中で蔦屋書店の店員さんや会場のお客さんなどもマイクを持

って語り出すという、いかにも熊野に相応しい型に嵌らない混沌と

熱気を感じることが出来ました。お話の内容のご報告は、また別の

機会に譲ります。

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2013年

6月

10日

直島瀬戸内国際芸術祭に行ってきました。(記:オシオ)

わたしたちが生きている世界は言語で包囲されている。言語は概念であるから、他との区別があり、差異がある。区別・差異がなければ言葉は曖昧で意味不明な???となる。資本主義社会はお金とモノ(商品)の世界である。お金はカウントできるもの、量の世界にある、モノ(商品)は他のものとの差異ゆえに他と区別されるが、それは量の多さによって区別され価値の大小で序列のついている世界である。A商品が千円で、B商品が1万円であれば、B商品の貨幣価値はA商品の貨幣価値の10倍である、と普遍的に説明され、これがこの世界での根本的な了解事項となっている。わたしたちの住んでいる世界、即、言葉と数字で量化された世界と言い換えることができる。

 

直島はこの世界にない。???または!!!、あるいはその混合世界である。???とは区別がついていない、差異のない世界のことである。これは何?と言うしかない定義されていない世界のこと。!!!これは驚いて言葉を失っている状態。例えば瀬戸内海に突き出た突堤の尖端に置かれた黒い斑点のまぶされた巨大な黄色いカボチャ。これは何???そして!!!。直島港にはもっと大きな赤のカボチャ。この島にはそのような???と!!!が充満している。混沌、曖昧、意味不明世界、それは言語世界からの逸脱であり、量に還元できない、カウントできない世界、異質なものにみちみちた世界、あなたが感じた???とわたしの感じた???は当然違ってくる。それでいいのだ、何を感じてもよい、とりあえず寄り添い参照すべきデフォルト・典型的・無難な意見などない。いっぺんは行って????と!!!!をいっぱい感じみてはどうでしょうか。デフォルトを作り上げ量をかせぐのを目標にしている21世紀初頭の資本主義世界とは全く違う世界。そういえば熊野もそういう世界。

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2013年

5月

26日

「熊野大学聴講生による熊野を語る会」第1回の内容報告④(記:管理人)

更にまた前回の続きです。
H女史の発表の中で、中上紀さんの8歳になるご子息が新宮市の
お燈灯祭りに初めて参加された時のエピソードを披露されたくだり
がありました。
「新宮市には、1400年も続く伝統的な”お燈祭り”がある。男
性が白装束で、夜の山上の狭い一角に集まり、松明に火をつけ、
長く急峻な石段を一斉に先を争って駆け下りて来る。ふもとでは
道の両側に新宮中の女性たちがずらりと並んでこれを待ち受け、
帰還を称える。火を介して人々は一種のトランス状態に導かれ、
駆け下りて来た男性陣は誇らしげに、待ち受ける女性陣は慈
満ちて、男性性・女性性を強く意識させる祭りである。どこにで
見かけるような普通のタイプのおじさんが、松明の燃え残りで
煙草に火をつける様子を見ただけで、ゾクゾクするほど魅力的に
感じる異空間となる。紀さんのご子息も、そんな雰囲気のなか8
歳とは言え男の血が騒いだものか、自分の始末は自分で付けると
ばかりにふもとで待ち受ける紀さんとHさんを尻目に、いつの間
にか独りで山を下り、独りで着替え、独りで家へ帰っていた。男
性性の萌芽を感じ、頼もしく思った。」
といったお話でした。麗しい挿話です。成長への喜びを共に味わ
うことができますね。
しかし、私達は同時に、このエピソードはお二人にとってあ
ご都合のよろしくない視点を周到に避けて語られていることに、
若干の注意を払う必要があるでしょう。お話の総体からご推察申
し上げますに、「男性性・女性性を強く意識させる祭りにすっか
り夢中になってしまい、紀さんと二人であちこち目移りしている
うちに、ついうかうかとご子息の帰還を見逃した」とまあ、この
ような事情も事実の一端として垣間見えるのではないか,とそう
いうわけです。
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2013年

5月

19日

「熊野大学聴講生による熊野を語る会」第1回の内容報告③(記:管理人)

また前回の続きです。
作家・中上紀さんが、自作短編『蓮池』と中上健次作『青い朝顔』の
朗読を披露されました。声が良いからなのでしょうか。この方の朗読
には、聞く者の心を落ち着かせる効果があるようです。気が付くと、
こちら側の呼吸が朗読に同調するかのように深くゆっくりとして来て、
穏やかな気持ちで耳を傾けるようになります。癒しとしての音読。
ヒーリング・リーディング。新たな活動形態となるかもしれません。
それはともかく、『青い朝顔』は中上健次作品の中ではマイナーな存
在で、最初はフランスにて仏訳版で出版され、その後日本で日本語版
が出版された,との経緯を持つものだそうです。
一方、紀さんの『蓮池』は、中上健次の小説世界の題材を使用して書
かれた唯一の作品で、紀さんがアイオアで行われた「インターナショ
ナルライティングプログラム」(かつては中上健次も参加したことが
あるそうですが)に参加した際に、英語で書いて朗読し好評を得て、
のちにご自身で日本語訳されたものであるとのこと。そのように伺う
とこの二作品は、内容の関連性ばがりか、成り立ちにも因縁的な類似
性が見て取れ、改めて”血”を感じます。
 
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2013年

5月

06日

「熊野大学聴講生による熊野を語る会」第1回の内容報告②(記:管理人)

前回の続きです。
和歌山県広報課にお勤めのH女史(当会呼びかけ人のおひとりでも
あります)から、『中上健次が熊野の先に見ていたもの』と題して
発表がありました。「熊野と中上健次を語る導入になればと思い、
分りやすいお話を中心に」と仰りながら、40分近くをかけての力
演です。
 
自然と人間とが一体となり、神仏とともに住み暮らして来たという
日本人古来の精神文化の源流が、紀伊半島にはある。それは”血”を
呼び覚ますものであり、中上健次の小説世界にも重要なテーマとし
て表れている。熊野という土地には、南方特有の1年を通して楽に暮
らして行かれる大らかさがあり、この大らかさが、多神教を受入れ
たり自然の恵みと脅威の両方を受入れ折り合う柔軟性といった日本
古来の精神文化の、ことさらに力強い源と成り得ているのではないか。
そして中上さんはこの日本人の大らかさ,逞しさ,強さを熊野の先に
見て、改めて強力にメッセージを発信する必要を感じていたのでは
ないか。
 
およそそのような内容のお話を、時に自由な想像力の飛翔を交えつつ
ユーモラスに展開して下さいました。もっといろいろな題材がたくさ
んちりばめれられていたのですが、私の力不足で拾いきれませんでし
た。済みません。雰囲気だけでも察して頂ければ幸いです。
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2013年

4月

24日

「熊野大学聴講生による熊野を語る会」第1回の内容報告①(記:管理人)

 去る4/13(土)、「熊野大学聴講生による熊野を語る会」第1回が
開催され、お誘いを頂いたので嬉々として行って参りました。面白か
ったですよ。会場は、日大文理学部哲学科の教室です。(なお、会場
の借用に際しては、日大文理学部哲学科研究室・合田教授のご協力を
頂いたとのことです。ありがとうございました。)
 最初に、呼びかけ人代表のiさんから「軽い気持ちで始まった会だ
が、熊野や中上健次に興味・感心を持つ者同士が集まって、ただ酒を
飲むばかりではなく、年に4回季節が変わる頃に参集しては講演会や
ら学習会やらを継続的に行ってゆきたい。」とご挨拶がありました。
呼びかけ人には熊野大学夏期セミナー聴講生の他に、和歌山県広報課
にお勤めのH女史や作家・中上紀さんも名を連ねておられ、軽い気持
ちで始まったわりには構えのしっかりした会です。
 H女史から「中上健次が熊野の先に見ていたもの」と題しての発表,
中上紀さんからは自作短編『蓮池』と中上健次『青い朝顔』の朗読&
トークが行われ、その後参加者全員の自己紹介が終わったところで時
間切れ。あとは新宿の居酒屋さんへ場所を移して、意見交換会兼親睦
会となりました。H女史と中上紀さんの発表内容につきましては、ま
た改めてご報告致します。
紀さんが日大文理学部で講義を持っている関係もあって、会場には日大
の学生さんが結構来てくれていました。全部で20名近い参加があり、
第1回にしてはまずまずの成果ではないでしょうか。次回は6月下旬
だそうです。今度は何が行われるのか、楽しみです。そのうちに、この
会のホームページなりブログなりを立ち上げれば面白いのにとも思い
ます。
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2013年

3月

24日

熊野大学のサークル活動めいたものについて(記:管理人)

 熊野大学の東京支部有志の会みたいなものが発足しつつあります。私はこの組織のキーマンではないので詳しいことはよく分りませんが、熊野大学夏期セミナーの聴講生らが主体となった言わばサークル活動的なもので、「せっかく知り合えたのだから、年1回熊野で会うだけではもったいないから東京でも定期的に会って何かをしよう」という、建設的な意気込みを持った集団です。(だと思います。)
 とりあえず、昨年12月に忘年会,今年1月には新年会が催され、私もお招きを頂いたので出かけて行きました。幅広い年齢層の男女が集う、刺激的な会でした。また新たな集いが企画されるようでしたら、適宜ご報告致します。

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2013年

3月

09日

お燈祭り@神倉神社(記:岡田)

ひと月余り前の話ですが…2月6日の新宮の「お燈祭り」に、今年も上らせていただきました。中上健次さんが何度も書き、映画にもした火祭りです。去年は激しい雨の中、我がタイマツとうとう点火せず。今年はそのぶんまでもというように炎を勢いよく吹き上げました。

神奈川の拙宅から新宮までは遠いですが(6時間半程かかります)、2000年以来ほぼ毎年通っています。

祭りの舞台神倉神社は神倉山上にあり、新宮市内ほうぼうから見上げることが出来ます。通い出したばかりの頃、どこかの店でほとんど泥酔して知り合ったばかりの方の家に泊めていただいて、その翌朝早く、路上に出て、ここはどこだろうと見回したら、かなりの近く、したがってかなりの上方に神倉神社の岩々が静かにおわしたことがありました。なんとも言い難い気持ちに打たれました。今年も祭り翌日銘菓「鈴焼」を買い求めたり昼食をとったりの途上、ふとした折に見えるのです。

新宮にいる限り、神倉神社の岩に見張られ見透されている感じがします。多かれ少なかれ、新宮の方々はそんな見張られ見透され感をかかえて生活してるんじゃあ?だから、いい男いい女が多いんじゃあ??
今年は10歳の息子も連れて行ったのですが、神倉神社が、私だけでなく、ウドン食いてー!などと喚いている息子をも見下ろしているのは、今思い返しても緊張をおぼえる光景です。

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2013年

3月

03日

継続は力かも(記:オシオ)

読書会を初めてから20回が経過した。月に1回、1冊読んでいく。古代ローマ人、中世日本人、古代中国人、近世日本人、現代イギリス人の小説、エッセイ、事典、詩集など,古今東西の作品を読んできた。

 

内村鑑三「後世への最大遺物」、夏目漱石「私の個人主義」、モーパッサン「脂肪の塊」、中原中也詩集、キケロ「老年について」、兼好法師「徒然草」、孔子「論語」、岡本太郎「日本の伝統」、モーツァルト「モーツァルトの手紙」、レイモンド・ウィリアムズ「キーワード辞典」、ドラッカー「マネージメント」、岡倉天心「茶の本」、新渡戸稲造「武士道」、吉田満「戦艦大和の最期」など。

 

課題図書はいくつかのリスト(柄谷さんの必読書150、松岡正剛さんの千夜千冊、岩波100冊など)から選び、選んだ人が報告者となってすすめる。作品の背景となる年表、作者の生い立ちなどは必須資料となってきた。先月の「モーツァルトの手紙」では、35歳の生涯のうち旅の空で過ごした期間が10年というモーツァルトだが、その主な滞在地がハプスブルク家関連の土地であるという説が提出され、一同興味深くその議論に立ちあい、そのあとは10代、20代、30代のモーツァルト作品の鑑賞、最後は「魔笛」で締めた。自画自賛ですみません。だんだん堂にいった風になってきた。読書会まどゐ(円ゐ)には「ときの風」の投稿者も多く、牛王読書会の雰囲気もある。超にぎやか懇親会も当読書会の特色のひとつ、編集委員諸君、来阪の折はぜひどうぞ。

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2013年

2月

17日

日曜の午後(記:輝やん)

少し前の日曜の午後、ふらりと一人、新宮と三輪崎の間にある峠、高野坂に登った。初めてのことだ、これまで幾度も気になりながら機会を逃していた。

 三輪崎は新宮から南西に位置する。その昔、太地と同じように八浦を潤す捕鯨の村であった。かなりの往来があったのであろう、高野坂は他の古道と幾分か雰囲気が異なる。緩やかな石畳は、広いところで二間に近い幅があった。

峠から南に光る大洋を眺め、逆方向に国道を見おろした。ビュンビュンと車が流れていた、普段に私たちが車を走らせている道。

もの心ついたときから国道があった。峠に立ってみて、キュッと背筋が硬直した。大平洋から波打ちよせる断崖と山を割った人工谷の対、改めて近現代の性急を想った。悠久の歴史の中に突如として起こった近現代という狭い時を、「魔」の時代とも感じた。

 サラサラと笹の擦れる音が妙に心を揺さぶった、辺りを見回す。すると石畳の傍らにぽつぽつあった屋敷跡の石垣に気づいた。今では誰も通らない峠道、石畳に膝を抱えて坐り、太古から数十年前までの人の往来を想像した。耳を澄ませば昔人の声が聴こえてくるようで、暫し静かで心落ち着く幸せな時間が流れた。途中から仕事のことや『10号』のことや障害者団体のことや誰彼のことや…と現実に在る事柄にグイッと引き戻され、大きく息を吐いて腰をあげた。時間の経過を忘れていたのだ、『浦島太郎』にも似ていた。うす暗くなった坂道を躓きながら下った。

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2013年

1月

20日

Individual個人・個人の・個々の (記:オシオ)

平野啓一郎さんは、この本(「私とは何か 『個人』から『分人』へ」)で自らの思考をまとめるにあたっていくつかの本を参考にしている。レイモンド・ウィリアムズの「キーワード辞典」、コリン・モリスの「個人の発見」が上げられている。中でも前者はかなり丁寧に取り上げられている。そこで今回は同書で個人individualという語の変遷を辿ることにし、その後で平野さんの分人について考えていきたい。

 

レイモンド・ウィリアムズの本は、平凡社ライブラリーのもの、取り上げるキーワードはindividual(個人・個人の・個々の)の箇所で、p.265からp.271までの7ページにわたって解説されている。

 

この語は「元来、分割できない(indivisible)という意味」。現代語での意味は、「個人・個人の・個々の」という意味で他との区別、違いの強調に力点を置いている。ところが、元来の「分割できない」という意味は他とのつながりを前提としている。すなわち、あるものが分割できないとは、それがまず分割の対象であり、次に分割可能かを考え実際にやってみる、ないし思弁的に検討して、分割ができないと結論づけて、分割できないと結果されたのであるから、分割できるものと分割できないものというカテゴリーをめぐって思考がすすんだことになる。それゆえにこの結論に至るには分割できないというカテゴリーを必要としており、このカテゴリーは自分の反対物、すなわち、他なるものを必要としている。これに対して現代語での意味は、他よりも自分自身を押し出すことに主意があり、他のカテゴリーを必要としないので、元来の他を前提とするものとはまったく違った場所に立っていることになる。この変化を、著者は、「社会・政治に起こった歴史の記録が言語に刻まれたもの」だとする。

 

「中世ラテン語のindividualisがこの語の直接の前形」である。このindividualis6世紀のラテン語individuusから派生したもの。これはギリシア語のatomos(切断できない、分割できない)の翻訳語として使われた。そこで、6世紀のポエティウスのindividuusについての定義は、この語の意味の変遷を考えるうえで参考になる。ポエティウスの定義は次の通り。

 

あるものがindividuus(分割できない)といえる場合、それは、

    単一体、もしくは精神のように、まったく分割できないものはindividuusと呼べる。

    鋼鉄のように、その硬さゆえに分割できないものはindividuusと呼べる。

    ソクラテスのように、同種のもののどれにも当てはまらない固有の呼称をもつものは

individuusと呼べる。

 

このindividuusからindividualisが派生したが、individualisは中世神学の三位一体の議論で、本質的不可分性という意味で使われている。これはポエティウスの定義でいけば①にあたる。この用法は17世紀にも使われ、individualisを祖とする語形individuallの用例であるが、「individuall、それは夫婦のように分かつことのできぬもの」(1623)とある。②の意味については、物理学では17世紀以降、原子を表すatomindividualにとって代わった。もともとindividualの祖型であるindividuusatomの翻訳語だったのだから代理人に代わって本人が出てきたことになる。このことによって②の意味は現代では薄くなっていった。すなわち、分割できないという徴表が後退する。昔はみっつの定義のうちふたつが分割をめぐるものだったのが、ひとつがなくなり、1対1となり、固有系と対等になった。こうして他との区別できるひとりの人間をさす③の意味が、17世紀初頭以降存在感をもちはじめる。

 

このことはin the general(概して)に対する in the individual(個々に)という対比語句の用法の広がりのなかに見て取れると著者は言う。従来individualは形容詞的用法が主であったのが、この用法によって名詞となり、「新たな名詞の出現という重大な事態の契機となった」。名詞可することがどうして重要なのかの説明はないが、形容詞が名詞になるとはどういう意味なのか、興味のあるところである。

 

過渡期の時代、すなわち、individualが「個々の」という意味で使われる一方、まだ名詞にならず形容詞として使われていた例として、「個としての(individual)人間についてのわれわれの観念」(ロックの『人間悟性論』1690)がある。現代のように名詞ではないが意味としては固有系となっている形容詞としてのindividualである。

 

名詞化の進展にはあるきっかけが必要だった。社会・政治思想の領域でこの語が名詞化していったのではなく、論理学と18世紀以降の生物学においてそうなった。論理学での用例は、「論理学における個体(individual)とはこれ以上同じ名前や性質で分割することのできないものをさす」(フィリップ1658)。ここでは分割系と固有系がフィフティフィフティで言及されている。これと同じ用法が生物学で利用された。ということは分割系と固有系がフィフティフィフティだったということである。固有系は勢力を得つつあるもののまだ自立できていない、すなわち、分割系のニュアンスをまったく持たない現代語にはなっていない。

 

こうした折衷的な用法に関して決定的な態度の変化がみられるのは18世紀の終わりである。「狩人や猟師からなる未開の民族のなかでは、個々の人(individual)は日常の必要を満たすのに有用な労働に携わっている。」(スミス国富論1776)この用例ではindividualが端的に個々人という意味である。またそれは名詞であり、分割系のカテゴリーの痕跡はまったくない。19世紀になるとindividualのこうした用法は生物学、政治思想のふたつの領域で頻出する。「同じ種のすべての個体(individual)が同じ型からできたように、現実にまったく同じであるなどとは誰も思わない」(ダーウィン種の起源1859)この用例は画期的である。Individualはカテゴリーを超えていると言っているのだ。「存在の基本的次元としてのthe individual(唯一無二の個)が、ある集団の一例としてのan individualを取り込み凌駕していった。」と著者は言う。この個人はほとんど神に近い。何故なら旧約聖書は「太初に言葉があった。」で始まるが、individualは言葉を凌駕するものとなっているから。ここに来てポテティウスの定義を遙かに超えた領域へとすすんでいく。

 

本書のCreativeの用例(p.130-p.135)を読んで驚いたのだが、creativeで有り得るのは元来神のみだった。神のみが創造者であって、人間は被造物であるからヒトはcreativeでは有り得ない。Creativeにはそういう含蓄があった。欧米ではこの著者の著作でも明らかなようにindividualcreativeという語の来歴を考える中でこの文明が神を凌駕する意図を含むことが意識されているが、この文明に否応なく取り込まれた欧米由来でないわたしたちにとってはどうであろうか。個々人は神を凌駕する、と意識しているであろうか。無意識下においてすらしていないのではないか。「創造性を発揮しましょう」とわれわれが言うとき、それは我々が神のごとくあり得るからそのように言うことができると思っているだろうか。もっと軽い。誰にもない工夫をしましょう、程度であろう。それはcreativeとは言わない。individualityのあるものでもない。西欧文明の脈絡ではそうなる。

 

 「現代につながる意味でのindividual(個人性・個性)」という概念の登場は、中世の社会、経済、宗教の秩序が解体したことと関連させて考えることができる。」「厳格な階級制社会における地位や機能を超越した人間の、個人としての存在が新たに強調されたが、・・・これは教会を仲介として成立する神との関係と対立するものであった。」

 

「論理学と数学における新たな分析方法が個を実体的存在として仮定し、その他のカテゴリー、とりわけ集団としての範疇はそこから派生するという考えになったのはようやく17世紀末から18世紀にかけてのことである。」という下りでは、ますますヒトが神的なものに置き換わっている。実体についてスピノザは言っている。「それ自身においてあり、他に由らないもの。」と。そして実体とは神である。その結果「根幹をなす存在を有する個人から始まって、社会の法則や形式はそのような個人から派生するとされた。たとえばホッブズの場合は人々の服従によるし、自由主義の場合には人々の契約ないしは同意、もしくは自然法についての新しい見解によるのである。古典経済学は、ある出発点において経済的、あるいは商業的な関係に入ろうと決心した個別の個人というものを仮定するモデルを使って通商を説明した。近代経済学を支える功利主義の倫理では、ひとりひとり独立した個人が、自分が始めるかもしれない行動を推し量った。このときの個人はソクラテスといった固有の名称をもつだけにとどまらず、世界創造をなしうるcreativeで言葉発生以前の世界の創始者の含蓄をもつものである。

 

こうして科学的思考と政治経済的思考とを通じて現代に通ずる個や個人の意味合いが生まれかつての分割系は影がうすくなってきた。「とはいえ、すでに19世紀初頭から、このなかで(さらに)ある区別が出てきた。これはindividuality(個性、個であること)とindividualism(個人主義)という二つの派生語の発達に要約できる。後者は自由主義の政治・経済思想の主流をなす動きに対応している。ジンメルによれば、唯一無二の独自性という意味での個人主義が単一性の個人主義と対置され、後者の単一性は量的思考、前者の唯一無二の独自性(かけがえのなさ)は質的であってロマン主義運動の概念であり、進化生物学の種が強調され、個体は種に結びつけて考えられるものの、同種のなかでの独自性は認識されているという。

 

著者は最後にindividualityindividualismについて言う。前者の方が歴史が古く、individualの発展を育んだ意味の複合体から生まれたもので唯一無二の人間とその人間の集団への不可分な帰属、この二つをともに強調する。フィフティフィフティという訳だ。「これに対してindividualism19世紀の造語であり、「斬新な考えが生み出した斬新な表現」(トクヴィル)であって、それは単に抽象的な個人を扱う理論にとどまらず、個人の地位と利害関係をこそ第一とする理論でもあるのだ。」と言っている。

 

 仏教では存在というものを実体的なものとはとらえず、関係的なものととらえていると聞いたことがある。これに対してギリシャ時代のデモクリトスにはじまる原子論的な考えは今でもindividualに残っている。Individuusatomosの訳語であった。著者にもその気配を感じる。この点でマルクスの「『個人』は『社会』がつくりだしたものであり、さまざまな関係のなかへとうまれてきて、それによって決定されるのだと論じた」とある通り、神が社会で、個人はその被造物という関係になっている。わたしは、大局では社会が主で個人は従だとするのが適正だと思うが、小局では個人が社会に影響をおよぼすこともあると思っている。

 

 

付録 平野啓一郎の「『個人』の歴史」について

この論文は「私とは何か 『個人』から『分人』へ」の末尾についている。その主旨は、今までしてきたようにウィリアムズに依拠してindividualの変遷を辿るものである。それに加えて、コリン・モリスの「個人の発見」という本も参考にしていて一神教のキリスト教とindividualについても語られている。類推的にカトリックとプロテスタントの違いにも気づかされる。個人の色彩の強いのは神と一対一で向き合うプロテスタントである。また個人という言葉がどう日本語に定着していったかにも触れられていて興味深い。

 

ただひとつ気になったのは、わたしが驚いたところの、個人というカテゴリーがあって次に社会というカテゴリーをつくるという思考プロセスが個人概念によってもたらされたこと、これに彼はまったく触れていない。またその個人概念が実体論的なモデルであることへの違和感も表明していない。

 

このことが彼の分人論にどんな結果をおよぼすのか、あるいはおよぼさないのか、ゆっくり考えていきたい。

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2013年

1月

16日

ぜひご覧ください (記:岡田)

番組づくりにかかわっております。(3か月ほど、思えばほとんどそればかりで過ごしてきました・・・。)

哲学者・西田幾多郎が主人公の番組です。
人間のことこの世界のことを底の底から考え続け続けた西田と、中上健次さんと、通ずるところがあるなと、番組完成直前のいま感じています。

今この時代だからこそ、という番組にしあがりつつあります。ぜひご覧ください。
熊野大学に何度もいらしゃっている浅田彰さん、一度だけいらっしゃった小林敏明さんも、登場します!

1月20日(日)22時~23時30分
NHK Eテレ(教育テレビ)
「日本人は何を考えてきたのか」 第11回「近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~」

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2013年

1月

06日

『牛王10号』(記念号)の原稿締め切り近し! 記(『牛王』責任者)

◇謹んで新年のお慶びを申し上げます◇

◇本年も、宜しくお願い申し上げます◇

 

●正月ためた酒をぬこうと思い、久しぶりに丘の上を駆けてきました。冷たい風を切り、たっぷり汗をかき、気持ちを「凜」と整えたところです。

 いよいよ『牛王』次号は、10号の節目です。また特集は「中上健次没後20年を越えて」です。柄谷行人さん浅田彰さん…熊野大学にしかできない豪華メンバーらによる珠の稿が並びます。価値ある1冊にしよう、と我われ編集委員も精一杯に取り組んでおります。

 日々を見つめ、全体を見わたし、真剣で世に『10号』を投げるつもりです。健次さんの想いが、寄稿者一人ひとりの想いが、少しでも世の中のためになることを願っています。

 

●『10号』の「ときの風」欄(見開き2ページ・自由題の小エッセイ)の締め切りは、あともう少し大丈夫です。今月(1月)いっぱいに届けば、間に合います。採用させて頂いた方には、原稿料2千円と本1冊を差し上げます。

熊野大学聴講メンバーでない方からの投稿も受け付けます。各号の巻末「編集後記」ある私宛のメールアドレスに連絡下さるか、このHPの管理人さん(私ではありません)に言づけて下さい。

私たちと一緒に素敵な本を作り、混沌たる今の世に投げてみましょう。

 

『牛王』責任者(熊野在住) 拝

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2012年

12月

23日

熊野大学聴講生東京忘年会 (記:管理人)

忘年会の季節です。という訳で、先日熊野大学夏期セミナー聴講生たちの主催による東京忘年会が新宿の某居酒屋さんで行われ、私もお誘いを受けたので行って参りました。

 現役の大学生から定年退職後のご年配まで、幅広い年齢層の“同級生”たちが15名も集まって、それは賑やかな会となりました。その場で初めて顔を合わせる人同士が多くても、中上さん直伝の“自己紹介大会”を通じて終盤にはみんな知り合いになってしまうという、いかにも熊野大学らしい会でした。これまでに熊野大学夏期セミナーへ参加した経験のある人が主体の集まりでしたが、中には「熊野大学夏期セミナーへ行きたいんだけど、まだ行ったことがない」という“熊野大学予備校生”も何人か来て下さり、ワイワイ交流する中で、ちょっぴりセミナーの雰囲気を味わってもらえた感じです。

 来月には、新年会も予定されているようです。今から楽しみにしています。

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2012年

12月

15日

「わたし」はひとつ、それとも複数? (記:オシオ)

  数か月前にアマルティア・センさんというインド人の経済学者でアジア人として初めてノーベル経済学賞をとった人のアイデンティティーに関する本を読んだ。アイデンティティーを単数と思うのは大間違い、それでは現代の問題を解決するうえでは不十分、ヒトは持っている関係の数だけいろんな顔をもっている、だからアイデンティティーは単一ではないし、むしろアイデンティティーを単一とするべきという考え方はダメなのではないか、そういった主張だった。わたしにも思い当たる節があるので大いに共感した。そう思っていたら2週間ほど前に日経新聞の囲み記事で平野啓一郎さんが「個人」に対して「分人」という主張をされていると紹介していた。ほんの100字程度の紹介なので詳しくは分からないが、「これは面白い」と即座に思った。個人主義と対比させる概念として分人主義をたてているという。ここはセンさんと違う。夏目漱石は「個人主義」について終生悩み続けた。今の日本人もそうではないか。「わたしとは何か 『個人』から『分人』へ」という新書を買って読んだ。やっぱり面白い。平野さんは、なかなかの鉱脈を掘りあてたかもしれない。しばらく追ってみたいと思う。

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2012年

12月

02日

佐藤春夫記念館・中上健次没後20年、特別企画展(記:輝やん)

佐藤春夫記念館へ行ってきた。来年の2月17日まで「中上健次没後20年」の特別展示が開かれている。

午前中に行くつもりが、あれこれ急用が舞って午後4時20分に到着。連休でもない日曜日の夕刻、客は他に居ない。

さすが館長の辻本雄一先生が企画したことで、見映えだけでなく想像をかきたてるような展示がならぶ。先ず目を惹くのが各コーナーに設置された4枚の大きなパネル。中学時代の『みどりが丘』や新宮高校文芸部の『車輪』デビュー前の『文藝首都』…、健次さん直筆の雑記ノートや大きな毛筆書や長女紀ちゃんへの手紙…なども興味深い。

四方から健次さんの活字と写真に一人囲まれた閉館までの30分。途中、初冬の寒さとは別のゾクゾク感が背筋を奔る。見張られている緊張感。遺された活字は生身の健次さんよりも怖い!

チラリと目にとめた記事から、かすかに憶えていた生前の言葉を一つ手繰りよせた。「沖縄にせよ東北にせよ、日本における最初期の植民地なんだ。その両端と付け根の熊野から考えるんだ!わかるか!…」二人で新宮から勝浦へ走る車中のことだ。まだ学生だった私、ほんまは解らないのに適当な返事をした。

健次さんの活字に見張られている一瞬のうち、東北と沖縄のことを改めて想い起した。

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2012年

9月

27日

9号発行しました

やっと牛王9号を発行できました。今回は熊野12号台風によって小誌編集長の身辺に甚大な被害が及び、これに足を取られて編集作業が思うように進みませんでした。大変でした。編集長はよく踏ん張ってくれたと思います。

発行が遅れはしましたが、内容はなかなか充実していると思います。是非、ご一読下さい。

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2012年

1月

09日

9号の編集作業が始まりました

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

さて、牛王9号の編集作業がいよいよ本格的に始動しました。すでに自由エッセイ「ときの風」コーナーにおいては寄稿者からの原稿の回収を終え、校正作業に入っています。また、特集のテーマについては現段階ではまだ明らかにできませんが、方向性を絞って各有識者の方々へ順次執筆依頼中です。中身の濃い、面白い内容になりそうです。どうかご期待下さい。

年の改まったことを機会に、この編集委員ブログも充実を図って行こう,少なくとも四名の編集委員が持ち回りで定期的に記事を書いて行こうということになりました。牛王編集の進捗状況やら、各編集委員の日記的雑事やら、硬軟取り混ぜ適宜ご報告して参ります。そうなるだろうと思います。わかりませんけど。

どうぞよろしくお付き合い下さい。

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2011年

9月

25日

振替口座ができました

郵便局へ振替口座を開設しました。思っていたより早くできたので、安心しました。郵便局からお振込みを頂く際には、以下をご指定下さい。

口座記号番号:00140-3-433466

口座名称:牛王インターネット管理事務局

 

もし、郵便局以外の金融機関からお振込みをなさる場合は、下記内容をご指定下さい。

 店番  :019

 預金種目:当座

 口座番号:0433466

 

よろしくお願い致します。

 

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2011年

9月

19日

振替口座を準備中です

インターネットを通じて牛王をご購入下さる方から代金を振り込んで頂くための、郵便局「振替口座」を開設準備中です。購読者のご負担がなるべく少なくて済むようにとあれこれ考えた結果、郵便局の振替口座へお振込みを頂くのが一番安上がりのようです。これだと、ゆうちょATMから振り込めば手数料は80円です。また、小誌をお送りする際の送料は、こちらで負担致します。もうじき開設されますので、しばらくお待ち下さい。

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2011年

9月

13日

牛王ホームページをリニューアルしました

なかなか有効に活用・運営できていなかった牛王ホームページですが、このたび全面的にリニューアルすることに致しました。

今後は定期的にブログを発信して参ります。また、ご覧頂いた皆様からのお問い合わせはもちろんのこと、牛王ご購入のお申込みもこちらより承りたいと考えておりまして、現在鋭意調整中です。明確になり次第改めてご報告致しますので、皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。

試行錯誤を繰り返しながらの運営となります。長い眼で見てやって下さい。

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